車椅子の子とハワイに行く会
最初に、ハワイに行ったのは、25年程前、新潟県内の、着付けの先生方20名ほどと、ホノルル商工会青年部 主催の、さくら祭り、に、招待されて、花嫁ショ―を、しに行ったのが初めてでした。その後、加茂のトモコ美容室の、先生と、その、従業員と行った時あまり の楽しさにすっかりハワイが好きになり2、3年毎に行くようになりました。3、4回目かに行った時だったと思いますが、ひとりで、バス停で待っていると、 やがて、バスが止まり、何時ものように乗ろうとすると、運転手にエライ剣幕で怒られました、後ろを見ると、車椅子の人がいたのです、私が脇に避けると、ス テップの所から、変なのが出てきて、みるみるうちに、車椅子ごと、バスの中に。又あれよ、あれよ、 と言う間に、ステップが元通りになり、 すごく感動し ました。当時、日本では考えられない事でした。
その後、ハワイに行くたび、車椅子対応を念頭に見る自分がそこに居ました、私の泊まるホテルは最低ランクの所ばかりなんだけれど、それでも、フロントまで、スロープはあるし、トイレ、バスルームもみんな、フラットになっている、又、公共施設、トイレ、すべて、車椅子対応、になっていて、ハワイは、車椅子天国だと、勝手に思うようになっていた。
永 六輔さんがよく言う、この世の中は、障害者と、これから障害者になる人しかいないと言うことは、至言だと思う。縁あって車椅子生活をしている人を、ハワイへ連れて行きたい。
車椅子の子とハワイに行く会
ハワイに行っていただけませんか?
出 発 平成21年3月(予定) 4泊6日(延泊可)
費 用 15万円(含む渡航手続き費用、成田往復費用)(10万円補助します。)
出発地 成田空港
車椅子の人(1名)と私たち(ボランティア)が同行しますが仲良くやっても、無視してもかまいません。
添乗員ではありませんがハワイ歴10回の私たちが同行します。
車椅子の子とハワイに行く会
なんとか 車イスの人をハワイへ連れて行ってみたい という思いが日増しに強くなり いろいろ考えていた頃 昔から親交のあった 長沢一座の座長から奥様の追悼公演をやりたい と言うことを聴き座長にお願いしてチャリティショ−としていただき パブリックホールでショ−をやり七万円程集まりましたがその後はショ−をやっても会場費の二万円がネックになって3回やって計八万円にしかなりませんでした もうどうしょうもなくなって オイラの所属する 農業委員会に趣旨を説明し一人千円ずつ寄付をしていただき あとペットボトルに小銭を寄付していただいたのを足し なんとか十万円をかき集めて旅行会社へ交渉に行きましたが なかなか安いツアーが見つからなかった がJA北越後で合併記念二人で20万円というツアーをケン君のお母さんが見つけてきて 出発日が合わなかったのですが急遽2月26日新潟空港から旅立つ事になりました
2003年2月26日午後空港カウンターで車椅子のむね伝えると係りの人が 機内用の車椅子を持ってきてくれて KEN君の車椅子は機内預けにしてくれた 機内には最初に入った その後一般の人達が乗ってきた KEN君は2列目 (安全の為かな?と思う)ホノルル空港に着いてからは 誰もいなくなってから 空港の係りの人が来てくれ 一般の人とはまったく違う通路やらエレベータ−でいきなり 税関に出た(始めての体験でオイラの方が感激してしまった)手続きを終え外に出ると そこはハワイ時間2月26日午前5時すぎ まだ暗かった
2月26日ホノルル空港に着いたのが あまりに早く店がどこも開いていない と言う事でとりあえず えひめ丸のモニュメントのある公園に行った その後定番のおみやげ屋 ヌアヌパリ アラモアナ公園 説明会場と回ったのだがKEN君には大変辛そうだった それは急な階段の大型バスをそのつど昇り降りしなければならない事が我々が考える以上に大変なのだと感じた それと他のお客さんに迷惑をかけまいと ゆっくりバスの階段を昇る為早めにバスに戻るのだが 皆さん一諸にどんどん付いてきてしまい結局焦ってしまうやっとホテルの部屋に着きホッとしたのもつかの間 KEN君がシャワー室に入れない事が解り オイラはなんて事をしてしまったんだろうと頭を抱えてしまった
KEN君とお母さんそれにオイラの3人でJA北越後のツアーにもぐりこんだ旅行だったがまさか3人で同じ部屋に泊まる訳にいかないのでJA新津さつきの白井さんに頼んでオイラ一人で2泊多く12万円のコースを用意してもらっていたので、とりあえずオイラの部屋へ行ってみることにしたロイヤルハワイアン、ショツピングセンターを通りインターナショナル、マーケットプレイスを抜けオイラの部屋へ、だが、やっぱり、バスルームへは行けず。やむなく又戻り、再度JAL現地係の姉ちゃんの所へ、調べるので午後1時になったらきてくれとの事。それじゃあ時間までその辺りブラブラしよう、と カラカウア大通りをカピオラニ公園まで行って、戻ると姉ちゃんが部屋が見つかったとの事、それは隣のホテルだと言う、急ぎ荷物をまとめその部屋へ。それは、それは、バッチグーの部屋でした。その部屋はハンデキャツプルームというのだそうで完璧でした
JALのお姉さんに感謝 感謝で、恐る恐る アノ―値段はと聞くとお金はいりませんとの事 思わず好きになってしまいました、名前を聞いたら、ナンシーちゃんとの事 本当にいい人です でも一番喜んだのは、お母さんでした これでやっとハワイを楽しめると、3人でビールでカンパーィ、ハワイ初日午後初めての冒険が始まります
さっそく3人でホノルル探検をすることに、まずはクヒオ通りのバス停へ、しばらくするとKEN君の前にバスが止まった、あれよ、あれよ、という間にステップが飛び出し降りてきた、お母さんが車椅子を乗せるとこれまたあれよ、あれよ、という間にバスの床と同じ高さになり、中へ、ステップは、又あれよ、あれよ、と言う間に元の普通のステップになり、他のお客さん達が乗り込んでくる、ちなみに、バス料金は1ドル50セント、1回だけなら乗り換えもタダで出来る、初めてのバスだったが意外とスムーズにいった、運転手の後ろに座っていた人達が席を立ちイスがたたまれ、そこにKEN君の車椅子がセットされた、ちょうど反対側にも車椅子の御婦人が乗っており、そのパートナーの方がKEN君の車椅子にシートベルトを掛けてくれた。バスはアラモアナを過ぎアロハタワーを通りチャイナタウンの、はずれのバス停に止まった、こんどは運転手がシートベルトをはずしてくれた、大急ぎでバスを降り、すぐ近くでダンスの練習をしていたホールへ飛び込みトイレを借りた
ハンディキヤップルームに泊まれる事になって嬉しくて飲んだビールが外へ出たがって、バスの中から モジモジしていた、ハワイもワイキキのホテル街とか大型シヨッピングセンター以外では結構苦労する、トイレはあってもカギがかかっている事が多い。スッキ リしたあとは、腹がへる、さっそく中華街のシヨッピングセンターの中の食べ物屋へ、オイラは生春巻き、六本3ドルを買ってきた、KEN君ちは、やきそばみ たいなのと、ラーメンみたいのを買ってきた、それを、みんなで分けあって食べたのだが、やきそばみたいなのはすごく美味かった。あとはゆったり散策、パト カーが来て若い女の人を連れて行ったり、20年とかハワイに居るというおばあさんが、ここは物価が安いから良く来るとか、相変わらずハワイは面白い
初めてのチャイナタウン探検を終え、ホテルの部屋へ帰り、ビールで乾杯して、あれこれ話しているうち、お母 さんが、バス代取ってくれなくて、と、お金を3ドル、ポケットから出して見せたので、エッ、おかしいなー、と良く話を聞くと、KEN君とバスに乗り、運転 手がKEN君を席に連れて行き、シートベルトで固定し終えるのを待ち、バス代3ドルを渡したら。ノー、と言われたらしい、その後運転手が席に戻ってから も、渡そうとしたらしいが、ノー、と、拒否された、との事、 お母さんは、車椅子は無料?、と思ったらしい。それは、大きな勘違い。運転手は、チップと 思ったんだと思う、と言うことで3人大笑い。そんな話をしている内に、腹も空いてきたので、大宴会にしましょう、と、コンビ二でビールを買い、ペリーズ、 レストラン
ホテル前のABCストアーでは、バドワイザーが1本約100円、でした、とりあえず12本買ってレストランへ、バイキング方式で、一人9ドル95セントだったと思ったが、金を払い中へ入り、席を決め、料理を豪勢に持ち寄って何度目かのカンパ――ーィ。 話も弾み、KEN君も結構飲み、もちろん、オイラが一番飲んだので、あっと言う間にビールがなくなったので、掃除の兄ちゃんに、チップを払い、こんどはレストラン隣の、ABCストアーへ、又12本買って、レストランへ戻り、今度は出口へ行き、さっきの兄ちゃんに合図をして、出口から入れてもらい、又乾杯、飲んで、食って、しゃべって、なんて楽しいんだろう。考えてみたら、オイラ、KEN君親子とは、はじめて会ったはずなのに、旅、とは、こんなにも、人の心を優しくするものなんだ。
夜もふけてきたので、2人に別れを告げ、自分のホテルへ帰る事にした。インターナショナル、マーケットプレイスは、相変わらず夜中なのに、ドンチャン騒ぎをしている、とりあえず、24時間営業のスーパー、フードパントリーに寄り、ビール、ワイン、紹興酒、それに、トーフ、キムチ、マヨネーズ、タマネギ、ピーマン、スパムにぎり、等買って部屋へ。それから一人宴会をやり、12時を過ぎたので、外へ出て、例のお姉様方を見学しに行った、相変わらず、派手で、お気麗で、お誘い上手。何とか断り、グルッと回って帰り、ビールを飲んで、寝た、そしてハワイ1日目が終わった
2日目は、目がさめたら、朝だった、まずはビール、又寝る、そして目覚めて、アラワィ運河の辺りをブラブ ラ、6ドル95セントほど出して、オイラの部屋の近くの、ペリーズ、レストランへ、一人寂しく豪華食べ放題朝食。部屋へ戻り、ビール、日本語の通じないフ ロントでビーチタオルを借り、日本から買っていった、週刊誌を持って、ビーチへ、あとは浜辺で、ぐっすり眠った。
目がさめたので、KEN君のホテルへ、遊びに行った、館内電話で連絡しようとして、部屋番号をメモして置く のを忘れていたのにきずいた、今度のKEN君の部屋はセキュリティがすごくて、カードキーが無いとエレベーターに乗れない、他人と一緒に、エレベーターに もぐり込んだとしても、行き先階のボタンを押すのに、カードキ―が必要なのを知った、フロントでも、オイラの英語は通じないし、やむなく部屋へ帰り、ビー ルを飲んで又寝た。
夕方目が覚めたので、再度KEN君のホテルへ、こんどは、困った時の、ナンシーちゃん、で、彼女に、KEN 君の部屋へ電話してもらい、お母さんに、フロントまで出てきてもらった、やっと、部屋へ入れた、二人は、ワイキキを探検したり、バスに乗り、アラモアナ、 シヨッピングセンターへ行ったりして、楽しんできた、との事、これからどうしょうか?と言う話になった時、KEN君が、ハワイ、に来たら拳銃を撃つのが、 夢だった、と言うので、それではと、3人で夜の街へでた、相変わらず、毎日が夜祭のカラカウア大通りを抜け、クヒオ通りへ、そこに、拳銃店のパンフを配っ ている、日本人のアルバイトの娘が居たので、車椅子でも大丈夫か、と聞くと、オーナーに聞いてくる、と言って奥へ消えた、しばらくして、OKと言うので此 処で撃つことにする、ところが、店は二階、その二階へ行くのもラセン階段しかない、アルバイトの娘が上から、男の人を2人呼んできた、その人達がKEN君 を二階へ、オイラは車椅子を二階へ、店では先客の撃つ銃声が響いていた。クヒオ通りの奥にある射撃店。時折パンパンと言う拳銃を撃つ乾いた音、暫いた。
クヒオ通りの奥にある射撃店。時折パンパンと言う拳銃を撃つ乾いた音、暫らくすると、銃を撃ち終わった人が 出てきて、面白かった、癖になりそう、と言っていた、いよいよKEN君の番だ、防護メガネを掛け、ヘッドホンを付け、いざ出陣、射撃場へ。ひと通りレク チャーを受けた後、KEN君が撃った。すごい発射音がし、びっくり。今まで聴いていた音は防音ドア2枚隔てていた音だったのだ、何発か聴いている内に、こ こちいい音に聞こえてきたのは、オイラだけだったのだろうか。2種類の銃を撃ち、15ドルとチップを払い、又、例のラセン階段を、店の人達に下ろしてもら い、通りへ、念願叶ったKEN君の手にはマークシートがしっかり握られていた。満足。満足。